子供のころ含めてあまりやっていなかった「考察」をしてみようと思います。
大人だからこその利点もあると思うんですよね。
大人からはじめたりやり直したりするピアノの利点でよく言われるのが、曲への理解が子供より深くできるということ。
理屈っぽくなるつもりはありませんが、その曲がつくられた背景などを知ることによって、おとなならではのアプローチもできるのではないでしょうか。
エリック・サティ
エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(Érik Alfred Leslie Satie)
1866年5月17日ー1925年7月1日(59歳)
フランスの作曲家
音楽界の異端児、音楽界の変わり者などと称される。エリック・サティ
ドビュッシーやラヴェルも影響を公言、印象主義の作曲家たちにも影響を与えたとされる。
生誕:1866年5月17日/フランス帝国*1 オンフルール(ノルマンディ地方の港町)
出身地:フランス共和国 パリ
死没:1925年7月1日(59歳没)/フランス共和国 パリ
学歴:パリ音楽院卒*2
1866年……音楽史どころか世界史も日本史もあいまいな私にとってわかりにくい時代です。
ちなみに調べてみると同年生まれにアン・サリヴァン(ヘレン・ケラーの家庭教師)がいるようです。
そして江戸幕府14代征夷大将軍徳川家茂が8月(慶応2年7月)に長州征伐の途上、病に倒れ、大阪城にて21歳で亡くなってるのですね。家茂が時期将軍として指名した田安亀之助ではなく徳川慶喜が15代将軍になる…と。なんとなく時代背景がみえてきたような、より分からなくなったような(笑)
サティが生まれた1866年1月にドストエフスキーが罪と罰を連載しはじめたり、3月に坂本龍馬襲撃事件「寺田屋事件」があったり、5月にはアメリカでルートビアが商品化!
日付不詳とされてますがアルフレッド・ノーベルがダイナマイトを発明したのも1866年のこと。
生誕地のオンフルールは港町とのことですが、サティの父親はその地で海運業に携わっていたようですね。
1870年4歳のころでしょうか、父親は海運業をやめ、パリに移住しましたが、その2年後1872年オンフルールの父方の祖父母に預けられ、教会のパイプオルガンに魅せられ入りびたるように。
さらに2年後の1874年祖父がヴィーノ(だれ?)の元で音楽を学ばせはじめたようです。
1879年にパリ音楽院に入学するも、1886年音楽院が退屈過ぎて退学。
あれ?概要に卒とあったけど、本当のところはどうなんでしょう。
「パリ音楽院で最も怠惰な生徒」と評されていたとか。
その後はキャバレーでピアノ弾きになったり、パリ万博で日本の音楽に触れたり、聖歌隊長に任命されたり……最期は肝硬変だったようです。
サティについてはこちらが興味深かったです。
ジムノペディはどのへんのタイミングで作られたのでしょうか。
ジムノペディ Gymnopédies
1888年に作曲されたとされています。
22歳ころでしょうか。サティの作品としては初期のものになりそうですね。
1888年ころはどんな世界だったのでしょう。
1月にナショナルジオグラフィック協会が設立。ナショジオ……これにどんな感想をもったらいいのかよくわかりません。→10月に創刊
日本では4月に日本初のコーヒー店(可否茶館)が開業されてます。
8月にはイギリスで「切り裂きジャック」により最初の事件が発生。
11月チャイコフスキー(1840-1893)交響曲第5番が初演。
12月にゴッホが左耳たぶを切り取る。
日本製のオルガンの製造に成功、李錦裳がオイスターソースの製法を発明……
いろいろ興味深い出来事もありますが。
『ジムノペディ』 (Gymnopédies) は、エリック・サティが1888年に作曲したピアノ独奏曲。
第1番から第3番までの3曲で構成され、それぞれに指示があり、
- 第1番「ゆっくりと苦しみをもって」 (Lent et douloureux)
- 第2番「ゆっくりと悲しさをこめて」 (Lent et triste)
- 第3番「ゆっくりと厳粛に」 (Lent et grave)
となっている。
古代ギリシアの祭典「ギュムノパイディア」とは何なんだ?
ジムノペディはギュムノパイディアの様子を描いた壺絵にサティがインスパイアされて作られた……
アポロンやバッカスなどの神々をたたえるこの祭典はスパルタで催され、青年たちは全裸で神々の像の前で踊らされたり、運動場で競技を繰り広げたり。
酒を酌み交わしたり、詩を朗唱したり、壮大で賑やかな儀式だという。
ジムノペディに賑やかさなんてこれっぽっちもない。
第一番「ゆっくりと苦しみをもって」ですよ。
サティが愛読していたというギュスターヴ・フローベールの『サランボー』からインスピレーションを得たっていう説の方が有力な気がしてきます。
私は読んだことないのでwikiにあったあらすじをものすごーーーーーく簡単に結末だけまとめると、愛する人が生贄となり煩悶のうちに死ぬ巫女の話。
古代ギリシアの祭典っていうより、こっちの方がジムノペディの雰囲気にしっくりくるような気がします。
実際のところはどうなんでしょうね?
ジムノペディ、弾いてて思うんですけど、苦しいです(笑)
もちろん私の技術が足りていないことが大きな原因なのですが、苦しいなと思うんです。
でも、誰かの演奏を聴いているときは、苦しいとは感じないんですよね。
今聴いても。
以前も記しましたが、私のイメージはあまり深くない夜、海辺、星空。
夕食後あたり20時から22時ころ。
周りに明かりは少なくて、星空が見える。
ということは月も出ていない、かな。
山を抜けた先にある海辺って感じ。
静かに波が打ち寄せる、それが前奏部分のイメージです。
1小節目で波が寄せ、2小節目で波が引く。
そんな感じ。
ただただ静かな夜、波の音と星の瞬き。
でも、いざ自分が弾いてみると苦しいんです。
テンポは♩=66でかなりゆっくり。
ゆっくりなんだけど、左の1拍目と2拍目の移動が大きくて、ちょっと忙しい。
でも、あわただしい感じは一切出したくないから静かに急ぐ。
夜逃げしてる気分。
息をひそめてる。
ああ、もしかしたら弾いている最中、息止めちゃってるかもしれないですね。
明日その辺気を付けてみましょう。
またやたらと長くなってきてしまったのでこの辺までにしておきます。
また追記していくと思います。
2020.4.22 石垣島より愛をこめて、Ayutaro from Ishigaki Island
*1:1852年ー1870年 皇帝:ナポレオン三世 1870年9月4日失脚
*2:1795年設立 卒業生にシャルル・グノー、ジョルジュ・ビゼー、パブロ・デ・サラサーテ、クロード・ドビュッシー、モーリス・ラヴェルなど